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日頃の徒然を日記に・・・。マイフェイバリットな色々も発信。
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子どもが授かって喜び溢れるご夫婦も、スクスク成長してくれる我が子に元気に健全に育って欲しいと願いつつも、いかにして育てなければいけないのか、若いお二人なら悩む事もあるかもしれません。

子育てとは、親子共々の成長のプロセス。教えたり、教えられたリの生活の始まりとも言えるでしょう。

希望あり悩みもあり、時には失敗は許されない緊張感に押しつぶされそうな重圧感も、感じる事があるかもしれません。

核家族・近隣との疎外感、孤立した私たちの家族、頼れる何物も無いように感じてしまって、夫婦が不安になってしまったら行く末も不安になったり・・・?

もし、我が子を優秀な国立大学への進学とか、エリートコースを歩ませたいのならば、日々の親子の対話が最も大切な行為で、さらに家族が健全に過ごせることが必要な様です。

逆に言えば子どもの幼い頃から、会話のない親子ほど後に、後悔を強いられるケースが多い様です。

幼児期には親の助けがないと、哺乳動物も、もちろん人類もスクスク育つ事ができない。目が見える様になり、聴覚も胎内の頃にいた以上に機能し出したら世間の色合いや音を感じ出して両親の温もりも感じながら先ずは、スクスク元気に成長してくれて、赤ちゃんはとにかく泣く事で親に助けを求めることになる・・・。その期間はせいぜい、1~2年・・・。

その内、歩けるようになって会話をする事も可能になって、段々と行動範囲が広がって、何事にも興味を持つ頃がやって来る・・・。

この頃に、例えば家庭の事情で、モノを秤で測ったり、重さを計ったり、時間を気にする作業を親とかが作業していて子どもがそれを見たら、何をしているのか興味を覚えたりします。

時には手伝ったりも・・・。

チョットした手習いを出来始める頃に、楽器とか、絵の具とか、鉛筆とかハサミ、その他の道具類に興味を示してゴソゴソ何かを始めたり・・・・。

そんな折にたまたま達成感を覚えたり、満足感に満たされたりして継続する力を知る様になったら、子どもたちは彼らなりにケジメをつけるまでその行為に没頭したり・・・。

その内に物事の分析や解析を、例えば計算とか、読み書きの様な切り口から、あるいは情感から感じられる抽象的な概念を悟れる知恵もついて来て、理性と情緒を制御することも覚える様になります。

そうなったら主観性や客観性のイメージが判り始めてこの時、何のために勉強するのか遊ぶのかを、自ずと決められる心が芽ばえれば、後は親は傍観しつつ子どものベクトルが希望の方向を指す様にバックアップできれば幸いなのかもしれません・・・。

昨今の教育事情はひと昔前に比べて、多岐にわたる様になりました。

例えば、プロムラミングの導入とか、ボランティア活動の経験とか、文化人類学的なフィールドワーク、スポーツに手習い等々に英会話・・・。

もし、中学受験を目指すのならそれらに、多少の精通・知識を両親に、問われたりもします。

子どもにとっても、それを望むか否かを判断できる知恵を、それ以前に培って欲しいと思うのも、親心の一つなのかも知れません。

話変わって、江戸末期。

徳川幕府が終焉を迎えて、明治政府が樹立する時に官軍サイドでは西郷隆盛が、幕府サイドでは勝海舟が表舞台で次のご時世の談判をする事になりました。

世界の歴史では、この様な折には市民革命や易姓革命の様な派手な攻防が、勃発して政権が交代するものですが異国の介入もなく、江戸が火の海になる事もなく、比較的穏やかに時代は代わって行きました。

勝海舟はこの時、慶喜を米国に亡命させるための手立てとか、江戸の町を火の海にして、日光へ落ち延びて慶喜の存命を図り、徹底抗戦の折の事にも頭を巡らし、あらゆる状況に対応できる様にしていたそうです。

史実に残る無血開城は、対外的に最も不安定だった国政を、他国に侵攻されることなく移譲出来た大きな成果と言えるでしょう。

江戸の町民の存命にも貢献出来ました。戦禍を極力押しとどめる事も出来ました。

その勝海舟は旗本とは言え、無役の父の下で子どもの頃はスクスク育った。父の小吉は読み書きもおぼつかない程のヤンチャで、周りの住人からは慕われてはいたモノの、チョッピリ任侠的な人だったそうです。

あまりの粗雑さから本家からは度々叱責を受けて、海舟も養子として本家に引き取られそうになったのを強く固辞して、自ら育てる様になりネコ可愛りする程の様でした。

けれども小吉は彼自身、剣には心得があったモノの、自分では息子を剣を教えず別に道場に通わせ、勉学にも励ませて周囲の付き合いのある住人には、トンビが鷹を産んだと自画自賛していたそうです。

海舟が犬に咬まれて大けがをしたときには、四六時中息子を介護したエピソードは、有名になりました。

貧しい家庭に育った勝海舟。小吉は全く勉学とは、ほど遠いお父さん。

そんな海舟は、咸臨丸で米国まで赴いたし、坂本龍馬を育てたし、無血開城も成し遂げました。更に西南の役で一刻、汚名を帯びた西郷隆盛を評価して、その栄誉を回復もしました。

亡き父の孝行を無事に成し遂げた、幕末の偉人でもあった勝海舟。教育パパの下で育てられた偉人のイメージです。

そんな海舟ですが、伴侶には同じ墓に入りたくないと拒まれたそうです。彼は結構ハンサムで、浮き名を流していた・・・?

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