Fishing Tackle Gatsun 忍者ブログ
日頃の徒然を日記に・・・。マイフェイバリットな色々も発信。

釣りから伺える流れ

 

船釣りが趣味です。
 
船釣りを始める前に、会社の同僚から磯釣りを教えてもらいました。
 
その経緯(いきさつ)は魚釣りを覚えて、グレ(メジナ)を釣りたくなったから・・・。
 
この魚はアングラーの対象魚として、磯釣りをする皆様には格好のターゲットとして有名な魚で実際、釣り味の楽しい魚なのです。
 
魚は種類によってファイトにも色々と差があって、それは釣り味の一つとして釣りする人に大きな刺激を与えてくれます。
 
グレ(メジナ)にはフッキングしたら大きくダイブする習性があって、竿をグイグイ海底へと引っ張り込む動作を示してくれます。

真鯛ならいかにも首を振って、針を外しにかかる情景が、脳内を刺激してくれます。

ガシラ(アラカブ・カサゴ)は針掛かりした一時ピピンと暴れますが、後は硬直したように体を曲げて口を大きくあけて上がって来ます。

ハマチやカツオなら、遊泳力を誇示するかのように縦横に泳ぎ回ってグイグイ引きずり回すような印象でしょう。

クエやマハタなら、重たい石が底でゴソゴソ動いているの様な感じで、ある程度まで浮き上がらせることに成功すれば、その重さだけが感じられる感覚です。

サメはいかにもサメらしい重くて青物ほどではないにしろウロウロと泳ぎ回って、白い腹を見せて浮いてくれば後は比較的おとなしくなる様な印象です。

さて、手前事に戻りますが当初は、あるきっかけで海釣りの楽しさを知って、当時は週末になると近くの波止に赴いて、そのまた近くの釣りエサ屋で仕掛けと餌を購入しては豆アジを釣って、自宅に持ち帰ってカラ揚げにして三杯酢で楽しんでいたモノです。

その頃の印象は、豆アジ1匹すら自前で釣って調理したら、驚くほど美味かった。

ヤッパリ美味しい思いをするには、何事にも自分で手間ヒマかけて金かけて、足と手を使えば叶えられると実感した事が、今でも印象に残っています。

美味しい豆アジへの食に対する釣り行きの費用対効果は、スーパーマーケットで購入する価格の数倍はする行いです。

けれども、スーパーマーケットの豆アジの三杯酢では味わえないその美味しさは、釣りする楽しさも相まって、ヤメられない毎週の習慣になって、よく通ったモノでした。

家人にも美味しい豆アジを理由(?)に何らのお咎めの声もなく、マァー唯一の息抜きなのだからと半ば、放任されてもいたので結構ハマっていました。

当時は週末に波止釣り通いが習慣になって、それがいつしか獲物はデカイ方が面白い事を感じる様になって、チヌ(黒鯛)釣りにノメリ込み、果てはグレ(メジナ)を追い求める結果になったワケなのです。
 
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波止釣りから磯釣りへは、ある意味確信犯的移行なのかもしれません。

 
釣りする面白さとは、獲物(自然)相手のゲーム性と道具(タックル)にもあって速い話、無数の魅力が釣りには隠されていて、それにハマり込む時間にソンナにテマヒマはかからなかった・・・(>_<)

何時しか磯竿のシナリや曲がり具合にまでコダワリが拡がって、気が付けば磯に上って釣りを楽しむ小腹の出た、中々釣れない裾野アングラーに・・・?

磯に赴けば、色々な(自然)現象にめぐり合えるようにもなりました。
 
先ずはフカセ釣り(仕掛けを波に乗せて釣る釣り方)をすれば、流れを知る事になります。
 
そう、見えない流れを知る事に・・・。

 

釣りが教えてくれる "流れ"

 

簡単な話、海流とは単に旅客船に乗っているだけなら、表層の海面の流れしか気にならないモノです。
 
特に海流に興味のない人なら誰だって、海の流れとはそんなモノだと普段は感じている事でしょう。
 
ところが磯釣りを覚えて、魚を釣るという行為の中では、潮の流れに気が付きます。
それは表面の流れと底潮の流れの違いという事実です。
 
さらにそれが判ると判らないのとでは、大きな違いがあるのが磯釣りなので、当初は結構悩まされる現象なのです。
 
つまりは、その日の釣果に歴然の差が産まれるし、釣りやすさにも差が出てくるし・・・。
 
逆にイメージが拡がって新たな謎が産まれてきて、その中には謎解きできるモノもあれば、不可解なモノもある・・・。という事なのです。
 
海の流れ、とりわけ "流れ" とは、色々な事を釣り人に投げかけてくれる自然現象なのでした。
 
天候(時間の流れ)や潮流で釣れる獲物が変わるのも、磯釣りの妙味の一つです。
 
それすら初心者には楽しい磯釣りになって、視界に広がる海と空のシンプルな光景は、裾野アングラーのショボイ脳内にも抽象的な"流れ"の奥行や広がりを教えてくれたのでした。
 
結局そんな発想も、磯から下りた後も世間の流れの色々について、邪推して見たり、想像してみたり・・・。
 
それは、まるで磯釣りでターゲットの獲物との勝負に重なってくるという現象あるいは錯覚なのかもしれません。
 
とはいえ時として予知能力が働くのか、"この事件、いずれこうなるのでは・・・?"というデジャブが、フト過ぎったりもして、これって磯釣りジャン的なハプニングにも遭遇したり・・・(^◇^)
 

メディア



アッと言う間の人生とはよく言ったものです。
 
それは積年の経年変化で指数関数的に心身で受け止めねばならない、人間の一つの事実なのでしょう。
 
子どもの頃は新聞・週刊誌やテレビ・ラジオの情報が、最先端だった。電報・固定電話が、最速の通信方法だった。
 
今ではスマホでメールとか、所かまわず即連絡、新聞やテレビが投げかける信頼性や価値すら、ピアツーピアのネットワークで評価の一対象にすらすぎなくなってしまいました・・・。
 
それら古来の情報のみに依存している事は、もはや世間の流れに揉まれている、頑迷な思考に取り付かれた方々という印象・・・。
 
その加速度は一層高まって、たとえば一時の産業王国の我が国も気が付けば、GAFAや隣国諸国の席巻で後塵を拝する立場に・・・?
 
他方では人口の減少、高齢化社会、温暖化等々の喫緊の課題に、今なお後れを取っている政府、増税による生活の圧迫とか、学歴社会の崩壊とか、終身雇用の終焉・年金問題の先細りとか・・・。
 
様々な悩みが、表層の流れにタユタウ様に広がって、見えている・・・?
 
おまけに、昨今ではコロナウィルス・・・。
 
どうなる明日のわが身。ナンテなこと考えていると気が、滅入るばかり。
 
でもこれってすべて真実なのでしょうか?
 
という事で、これらの問題に回答を示唆してくれると言えば、一つに今までの歴史観であったり、新たな発想であったり、今まで培ってきた人類の英知や現在進行形の未来への欲求から編み出した情報とか、なのかもしれません。
 
宇宙は運動している。
 
私たちに時間の概念が作用しているのは、海面の表層なのかもしれません。
 
この存在という感覚は、個人の見解で実は、過去も今も未来も空間も個々人で違う何か、なのかもしれません。
 
とにもかくにも、個々人の捉え方はそれぞれのベクトルが生まれて行きつく先が違ってくるのは、どうやら一つの事実です。
 
成功する人しない人、途中で他界する人、新たに生まれる人、世間は流転する。
 
ある人は輪廻転生の様に回転している様な感覚だろうし、別の人は直線運動の様に延々と時空が進行しているのかもしれません。
 
量子力学では重ね合わせの発想が認められているから、何もかもが一つのレイヤーで無数の何かが重ね合わさっているのが今なのかもしれません。
 
とにもかくにも私たちは時間の流れの中で、変わって来ました。
 
いずれは地球を離れて、空間すら変えて生きていくのかもしれません。
 
こうなってくるともうSF的なお話で、現実性が損なわれているという言う方々もいるのかもしれないけれど、つい最近までコノ現状を予想できた人々っていたのでしょうか・・・?
 
情報収集の時短化、質や量、鮮度とか真偽も相まって私たちは、あの頃以上に知る方法を身に付けられるようになりまた。
 
上述のネガティブな嘆きの構造の裏には、個人的にも収益を上げられるシステムが、日進月歩で構築されてきて、隠れミリオネアも活躍しています。
 

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