Fishing Tackle Gatsun 忍者ブログ
日頃の徒然を日記に・・・。マイフェイバリットな色々も発信。
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アトピー性皮膚炎は今以って、生涯のお付き合いなのです。幼少の頃から悩まされ続けて来ましたが実を言うと、ある年齢を境にして劇的にその症状が改善しました。

その頃の事を思い出せば、発汗・水が個人的には印象として今尚、記憶にあったりします。

バリバリのアトピー性皮膚炎を患っていた頃は、関節の裏側や頭皮等に強烈な痒みを覚えたり、風呂や就寝時等の体温の変化で痒みが発症して、夏などに発汗すれば、痒みの原因にもなっていたことは確実に、経験してきました。

一方その当時は発汗は、周りの同年齢の子どもたちに比べて少なかった。汗っかきでは無かったのです。他方アトピーの症状が緩慢になってから汗をかく様になりました。

けれども、以前のような痒さを感じる事も少なくなって掻きむしる行為は気が付けば、極度に収まりました。かと言って症状が完璧に収まったとは言い難く、人一倍ポリポリ、ボリボリと無意識に掻いたりしているとは思います。

ただ、出血するまでには至らなくなって来ました。何時しか病院にも通わなくても困らない程になって、治療薬にも頼らずとも日常生活には差支えのない状態になりました。

成人を迎えて、社会生活が始まりサウナを経験した時、発汗してもひどかった頃の様な症状が無かったのは、そう言えば心当たりがありました。

サウナでの発汗は冷水との交互の振る舞いでなのか、その症状を気にする事が無かった・・・。

お医者さんもむしろ、サウナを否定はせず効果の期待を話されていた様にも覚えています。とにかく清潔にする事、スキンケアと興奮も痒みの原因になるとかの処方を教えてくれてました。

今思えばアトピー性皮膚炎は、自らの身体を実験台にしてと言うよりも、やりたい事はやってしまって後から後悔したり、気にならなかったりで、体質が改善している実感は先に述べた事以外では印象的な想い出はありません。

さて、お医者さんの見解やアトピー性皮膚炎の当事者の中でもサウナの効能に肯定的なお話が伺える様ですが、個人的には同意します。サウナはアトピー性皮膚炎に好転的なのかもしれません。

サウナと言えばオリラジの藤森慎吾さんが有名です。彼はサウナにこだわっていて、サウナの整え方で評判になっていますネ。そして静岡県の"サウナしきじ"も有名になりました。

ポイントは冷水にあるそうです。彼曰く、先ずは近所のサウナを味わってから"しきじ"を訪れて欲しいそうです。

アトピー性羅患者にとってサウナは一つの賭けに感じるかもしれません。ただ個人的には結構O.K.の印象でした。思い切ってサウナの温度変化にチャレンジする価値はアリでしょう。

アトピー性皮膚炎には、"水"が一つのキーポイントなのかも知れません。

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あけましておめでとうございます。

令和2年、2020年はねずみ年。オリンピックも開催予定。

神社やお寺でおみくじを引いた人もこれから願掛けに出かける人も、この年の十干十二支の巡り会わせとセットでポジティブに励んでみてはいかがでしょう。

ソモソモ、十干十二支って3,000年前以上も昔に編み出された、暦とか方位とかに関わる神様との対話とかの記録と、慣わしの記録などから産まれた確率論・・・?

未来を予見するための道具。当たるも八卦当たらぬも八卦もこの一部。科学的根拠は無いと言ってしまえば味気ない人生の様な気もするし、世の中、ミステリーが無いとは言えない。大きなことや小さなことで摩訶不思議な出来事も起これば、ラッキー・アンラッキーも時に、実感したりする。

量子力学の世界でも確率論的だし、推し量れない未来や世界を想像する一つの手法として、3,000年前から活用していた十干十二支で今年の占ってみれば・・・?

今年は庚子(かのえね・こうし)。60年周期で訪れる金生水の年。金性と水性とは相性がよいとされています。庚にも子にも、上昇の雰囲気があって、暦では相性の良い歳とされています。

ちなみに新年2020年の前の庚子の歳つまり、1960年(昭和35年)の出来事は・・・。

今上天皇のご生誕
横浜ベイスターズ(当時は大洋ホエールズ)の優勝
哀しい事件もありましたが、割愛。

当時の流行語は、声なき声・低姿勢・所得倍増・私はウソは申しません・家付き・カー付き・ババ抜き等々・・・。

この年にジャイアンツは川上監督が就任、巨人ファンの皆様の将来に光明が輝き始めるスタートの年・・・?

池田内閣と言えば、自民党でかつてないほどの実績を残した年・・・。高度経済成長の華々しい時代の始まり・・・?

池田勇人総理は1950年"貧乏人は麦を食え"とメディアが当時、蔵相だった彼の答弁に、辛らつなレッテルを張ってコテンパンに報道されたこともある総理。

歴史は繰り返す・・・?もしかしたら2020年を境にして経済が上昇するかもしれません・・・?

あるいは、繰り返さないまでも、60年前に示唆された様な似通った出来事が、起こるかもしれません・・・?

ちなみにこの年産のワインは、 リヴザルト[1960] 750ml 赤リヴザルト[1960]Rivesaltes白

そう言えば、赤と白は日本の旗の色、今年還暦のお祝いにも・・・?




この頃は、ネットとPCの普及で、家庭でもビジネスでもタイピングが必須気味な世の中になりました。

だからといってワープロの誕生のお陰で、英語を覚えるのではなく、せいぜいローマ字の知識程度で、日本語を使える様になって欧州諸国同様、タイプで書類も手紙も葉書も書ける様になりました。

日本ではそれでも今尚、肉筆にはこだわりがあって、今さらワープロの方が読みやすいし能率的なのだけれど、"文章"で意思の疎通を図る時、"心を込めて"とか、"礼節"とかで、肉筆を選択するケースは少なくありません。

逆に考えてみれば、文字を書くという行為に、何らかの拘り・呪縛・愛情があるからだ、とも言えるのでしょう・・・。

特に漢字圏の国々では、書くという行為に早い時期から毛筆が発明されたからなのか、書道・書生の様にアートな文化も開花しました。

字を書いた紙面や置物等に一種の感動を感じたり、例えば空海や西郷隆盛とか、歴史上の人物の真筆に価値があるのは、紛れもない書への憧憬でもあり、価値がある証拠とも言えるでしょう。

ひと昔前までは子どもの教育とか手紙を書くためにも、本棚に国語辞典や漢和辞典は必須であるかの様に、どこの家庭でも備えていたりしたモノです。

読み書きそろばんは教育の原点の必要条件で、古来より最低限の学習・カリキュラムだった。ひらがな、カタカナを覚えて漢字を覚える。そして読み書きを学習して、記録のインプット・アウトプットが出来る様になる。

聴覚以外での意思の疎通、ビジュアルでの疎通が可能になって行くワケです。私たちは簡単と習慣のため、古来より漢字を漢字として、漢字を一般名詞にしています。

しかし、その歴史をたどれば、殷(商)の民が編み出した文化だったのは、小学校でも勉強しました。その甲骨文字の発明が、"漢字"へとその名が変遷する様になった。

甲骨文字とは、亀の甲羅や動物の骨に鋭利な刃物の様なモノで記された文字の事。何でそんなことを殷(商)人たちは、行ったのか・・・。それは紛れもなく神との対話の手段だった。

当時の世間は謎に満ちていた。祟りもあれば、予知能力も、呪い・祝いや神託のため、罰(バチ)も今以上に濃密に時空に充満していた。その回答を神に求める行為が、当時の国家の義務だった。神を敬い、恩恵を賜り神の加護の下で国家は、運営されていた。

話しは少々それますが、当時の易姓革命はホボホボ、国家のトップのご乱行で、神に接近し過ぎたが故の、人間の自惚れから発生したと史実では、謳われています。

国家の統制が機能しているのは、自分の統率力だと思い込み、自分は神だと思い込む脳内回路が生まれて自滅というのが、易姓革命の一つの理由だったと・・・?

そんなコンナを繰り返している内に、甲骨文字は人と神の通信の手段から、人と人の間のソレに移行しました。

殷(商)人たちの甲骨文字は他の国々の文字のプロトタイプとして使用される様になり、長い時を経てモチロン、漢民族も借用する事になって、漢字と呼ばれる様になった。

これは余談ですが、互いに異国で産まれたという意味では、漢字と今のパンダは同じ歴史を辿って行ったワケなのでしょうか・・・?

さて、私たちは漢字の変遷に何の疑いもなく、これを日々活用しています。甲骨文字の意味するところを知らずに漢字を活用して来たのが、漢字圏の民族たちだった・・・?

それは多分に今に至っていて、漢字の解釈に強力な説得力を持っては来なかった。ただしそれは、一人の学者を除いての漢字に関する学会での連綿と続いて来た歴史の中でのお話として・・・・。

それは国境を越えた漢字のあらゆる学会の慣性とも言えて・・・?

しかしながらただ一人気を吐いて、大多数の漢字に造詣の深い人々の口を塞がせるほどの強烈な説得力をもって、甲骨文字の解釈を研究した学者が、かつて日本には生きていました。

彼の研究にケチをつける漢字に精通していると豪語するいわゆる学者たちやその範疇に及ばない人々も当時は居られたのか、そんな彼らは彼以上の説得力をもって漢字の由来についてホボ論破できなかったとか・・・???

大多数の漢字を活用している人々に、沁みる漢字への洞察を駆使し、その意味するところを強烈な説得力で研究され、産まれたのが「字統」。

今では以来、現地での調査も進んで、当時よりも詳細な事実が続々と判明されて来て増々、甲骨文字から漢字までの研究は発展しているそうです。

その詳細はすでにウィキペディアで紹介されているのでココは譲るとして、白川博士は学園紛争賑やかな頃、夏の暑い研究室で作業に没頭されていて、ゲバ棒、ヘルメット、タオルでマスクをした多くの学生たちの喧騒に対してある時、研究の妨げと憤慨し、注意のために研究室から半裸状態の姿で出て来て、彼らに向かって静粛を叫ばれてた事があるそうです。

その話を聞いた一人の学生が思い出として、武田鉄矢さんにお話されたとか・・・?その学生ははしだのりひこさんだった。

3,000年以上もの昔、武丁が即位した頃に、文字は誕生したと言われています。

漢字は今の時代にアルファベットの様な利便性を備えさせるために、省略化されて大陸と列島ではその字の姿も、かなり違ってきました。この国では、ひらがなやカタカナが生まれてその点、逆に漢字の省略化があまり必要ではなかったのかもしれません・・・。

漢字には当て字として、使用される特徴もあって、大陸では音が一緒だからという意味で、別の字をあてがったりもされている様で、他の文字を使用している文化圏の人々にとっては、その辺りがややこしくなりそうです。

文字として横書きも縦書きも出来る機能性を備えて、多少の変身も使用用途で安易に想像できるという意味においては中々、フレキシブルな文字だとも思うのですが・・・。

世が進むにつれて、手書きの機会が少なくなるにつれ簡単な漢字も思い出せなくなるのは、ヤッパリ漢字は書く行為としては揮発性が高いのかもしれません。読めるが書けない漢字は結構あるモノです。

漢字の持つフォルムに色々な感情を込めたり、想像したり情緒を表現したり、仮名との組み合わせで俳句や和歌を味わったり、掛け軸で凛とした空間を設えたり、私たちはビジネスにもアートにもある意味、気にも留めずに目にしているのかもしれません。

大陸で産まれて、この国でその解釈に情熱を捧げて光採を放った一人の天才が現れて・・・。殷というこの国の呼び名には後の国家から、蔑みの意を持って名づけられたというお話も史実には残っています。

なのに後世の人々は、文字だけは(?)チャッカリ借用して、今尚広く・深く使われてる・・・。早い頃から漢字に慣れ親しむ事は、読解や書き方を知る事にもなりますが、それ以上に物事の抽象的な捉え方や発想力を養ってもくれたりして、子どもたちには興味を持って早いうちから、修得して欲しいところです。

漢字には、奥の深い色々なモノを感じます。

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悪貨は良貨を駆逐する。・・・グレシャムの法則はしばしば経済で話題になったり、汚染に対する警鐘などのお話で、先のフレーズはよく耳にしたりします。

金本位制で金そのものが貨幣な場合、その貨幣の金の純度で価値が変わるのに、例えばその貨幣の金の含有量を変えてしまえば、貨幣の信頼が崩れて物価が上がってしまったり・・・・。

商品を安く仕上げて高く販売するために、手間ヒマを省いたり公害を垂れ流したりも大きな問題になったり・・・。

とにかく低きに流れようとすれば、悪影響を及ぼしたりします。

また、経済の世界では大国が小国を駆逐しようとする事は、往々にして繰り返されて来ましたし、これからも続くのかもしれません。

その様な大国の振る舞いはまるで、過去の植民地政策や社会主義諸国の囲い込み的なイメージに通じる様な気もします。

力を持つ者はそれで生産性が高まれば余剰が生まれて、利益を追求する事が出来るので、そのために背景の力を利用して、経済的に優位に立とうとするのは一つの現象。

植民地も社会主義の囲い込みも、過去の遺物になったのでは・・・?

本来の商品の価値とかとは別に関税とか、取引での交渉とかが、本来の価値にうまく連動していないと、価値のない商品を高く買わされたり、価値ある商品が市場から消えてしまったりして、これってヤッパリ都合がヨロシクありません・・・?

経済大国は、これまでの純粋な価値関係とは別の、国力にモノを言わせた外交的パワーを駆使して、ゴリ押し的な操作で経済的にも格差を広げようと努力したりします。

この様な外交、交渉も大きな範疇でくくれば経済政策なのかもしれませんが、狭い範囲での物々交換から貨幣経済に進歩した時の、価値は場所を異にすれば価値が変わる交易の様な価値ともまた色合いの異なる、一種独占的な、別のパワーを利用しての外交・交渉の色合いが加わっているイメージが、異臭を放っている様にも感じます。

ここで小国が、大国のその様な外交を上手くしのいで生き続けるためには、希少価値もしくは、多様性に関わる事で生き抜く手段を考えたりして、工夫をしなければいけません。

今の世でも、単純に少ないモノに価値がある場合はあるのだし、商品や流通、企業の単一化は、利便性が向上する場合もあるけれども、反面澱みが産まれやすく、悪臭を放ち、脆弱性を産み出して、いずれ劣化していく事は、よく似たケースを歴史が物語っているとも思うのですが・・・。

どちらにしろ独占とか単一化は、いずれ経済を駆逐してしまいます。

横柄に振る舞うように見える態度は、異臭を放って周囲にネガティブな空気を発生させて、とても気分の良い状況ではないでしょう。

傲慢の露呈は遠からず、我身を亡ぼすのが世の常。叱責の声に耳を傾けられなくなった時、それがアリの一穴にも通じる事になるのでしょう・・・。

夏の傑王、殷の紂王、周の厲王は易姓革命の顕著な例で、フランス革命や、ロシア革命もご同様・・・。

例えば鉄鋼、純鉄よりも炭素が少量含まれれば、硬くなったり、ニッケルを加えれば錆びにくくなったり・・・。

これは極論気味だけれど、時として単一化が、弱点にもなり得る事があり、少ない成分で鉄は性質が大きく変わったりするのも、たとえになるかもしれません。

自然界の法則ならば少数派はいずれ、絶滅の危機が危惧される可能性が高くなるのは必然。

これが、人の営みの自由貿易では、経済力や国力や大きい者が断然有利になって、力なき者は、生き残る余地を考えなければならなくなり、色々な工夫が要求されたりします。

つまり、力なき者が生き残るための一つの手立てが必要になって来て、例えば商品に付加価値とか伝統や習慣のような価値に見合う商品、地産でないと意味がない商品とか、何かに特化しそれを足がかりにして、存命を図らないといけない・・・。

例えば、大航海時代前の胡椒とか、絹、ジャコウ・乳香、などは当時代替するモノがなかったから高値がついても、売れたりしました。

人間の世界では本音と建前があって、自然界ではそんな建前はない・・・。それは、気取る必要がないからなのかもしれません。

その時の建前とは、優位性とか覇権掌握のための人間にのみ通用する武器として用いられたりして、力で抑え込もうとする大国が小国の生殺与奪権を握らんがための手段にもなったりして、その様な建前論で大国は、経済的優位性を確保しようとする・・・。

自然界では例えば大昔、隕石の衝突が巨大生物の恐竜を雑滅させて、当時矮小な哺乳類の繁栄を促す結果になったり、ウィルスの変異が時短で可能なので、ワクチンに対抗する如くインフルエンザが中々絶滅しない様に、まだまだ人知の及ばない謎の小さきものの反抗する例が、あります。

生物界での少数派や弱者は、紛らわしさや隠ぺいを活用して存在感を目立たぬ様にして、多数派の戦略から身を守る事も知られています。

単なる巨大化には疎漏が悩みの種として歴史上、様々なお話が残ってもいます。ソコにはアリの一穴から瓦解の可能性も秘めている事が、示唆されていたりとイメージされるのは、くどい様ですが如何にも否めない・・・。

大きな国こそ正々堂々と、小国の同意を取り付けらる様に努力すべきなのかもしれません。

世界一になるのが正義なのか、共存共栄で大国こそが、多様性を死守しないと、降りかかる火の粉にさらされる表面積は大国の方が、広い様な気がするのですが・・・。

 


 


M-1グランプリで、ミルクボーイが見事に受賞、オメデトウゴザイマス。彼らのネタで、コーンフレークが売れに売れている・・・?

コーンフレークに、あれだけの笑いが秘められていたのには、審査員の皆様の反応でも伺えます。

漫才は二人の会話から溢れ出る創作喜劇・・・。過去にもお笑いが一世を風靡した時代もあって、コメディーはもっともっと昔からある文化。

そもそもこの国では室町時代に悲劇と喜劇の文化が、鮮明に歴史として記録されていて、それらは能と狂言として学校でも教えられたリしています。

今回のM-1グランプリでは、オール巨人さん、上沼恵美子さんの現役関西の芸人お二人がエッジの効いた審査員をこなして、それもM-1グランプリの面白さを提供してくれて、多くの視聴者を笑わせてくれました。

ダウンタウンの松本人志さんも芸人界のヒエラルキーに則って、参加している方々や視聴者にも負のストレスを感じさせることなく、見事に任された立場をこなして、笑わせてくれました。

MCのお二人もさぞや、緊張されたことでしょう・・・?

そんな事考えてみると芸人さんは例えば、サーカスのピエロの様に華やかでスリリングなパフォーマンスと喜劇の中の、喜劇のカテに徹していてその中で、聴衆を楽しませてコソの芸人というレッテルが貼られていて、笑わせてくれれば笑わせてくれるほど、プロ根性が見え隠れしている様にも思えます。

お笑い芸人の皆様の刃渡りをする様な、会話の技術には、舌を巻かざるを得ないでしょう。その緊張感すら笑いに持って行く技術、逆に言えば、一歩間違えると奈落の底に転落してしまう会話の妙・・・?

それにしても、お笑いに経済が絡むと、そこに必然の生殺与奪が発生して、純粋に人を笑わせる事が好きな芸人でも、名を上げるにはそのシステムに否が応にも組み込まれることに・・・?そういう意味では、お医者さん同様に職としては日々の精進が問われる商売とも感じたりします・・・。

芸人さんには社会を映したり、人目を惹いてメッセージを発したり、クラウドの色合いを微妙に演出できるベクトルが、与えられているからなのかもしれません・・?そのあり様は、あたかもインフルエンサー・・・。

これは紛れもない一つの権力にも通じていて、他の権力を保持している人々にも影響がでて来て、それを保持した時点で生殺与奪の掟に従わなくてはならなくなる・・・?ご本人にしてみれば有名税が、課せられた事に・・・。

なので、様々な既得権者から突つかれたり、モテハヤサレたりして、世間の荒波にもまれる人生に船出する事にも・・・?名を売り、顔を知ってもらって世渡りしないといけない芸人さんは、本当に覚悟が必要でしょう。

時に重圧に押しつぶされそうな時もあるし、無重力状態を味わう事もあるでしょう・・・。それでもお笑い芸人なら、笑いで応えないとイケナイ・・・?それでこそ、プロフェッショナル・・・?

そんな事をツラツラ考え出してしまうと、先端で頑張っておられる芸人さんの知力・体力には脱帽せざるを得なくなって来て、迂闊にも笑わせて頂いた自分自身に、冷や汗と羞恥心をツイツイ感じたり・・・?

それでも尚、お笑いに神技的な芸人の皆様の漫才には、その様な事をも感じさせない笑いを提供してくれる・・・?

笑う門には福来る、笑いある人生は長寿の秘訣・・?世の中、悲劇と喜劇で成り立っているのかもしれません・・・。とは言え、お笑い談議でこの様な真面目(?)なお話は、水を差す行為なので、無粋なお話なのでしょう。マァそうは言っても、笑いのない人生は確かにツマラナイ。

さて、今回のM-1グランプリでは、ラグビー代表の3人も参加されていて、その中に稲垣選手も・・・。彼の活躍で印象的だったのが、スコットランド戦。

メチャクチャ、カッコよかった! 思わず涙腺が緩んでしまったあの光景で、稲垣選手はイカツイ戦国武将のイメージ。眉一つ動かさずに、何事もなかったかのようにミッションをこなしていく頼れる戦国武将の様・・・。

彼が、M-1グランプリで相変わらずの表情で一層の笑いに対する一見、対照的な映像が相乗的にお笑いのエンターテインメントを押し上げてくれてもいた様に感じたり・・・。

どうせここまで無粋なお話をしてしまったので、最後の最後まで・・・。古来、記紀は関西で産まれて、能も狂言も関西発。神武東征以来、この国の文化の色濃いこの地の笑いには、色々なエッセンスが詰まっていて、今なお結構面白い・・・。

昨今のお笑い業界では色々な事件もあって、お笑いとは言え看過できない出来事には、厳しいお笑いで反省も促す・・・?

もし、そんな発想が当たっていて、お笑いが効果を発揮してくれたら、笑う門に、福来る・・・?

 


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