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日頃の徒然を日記に・・・。マイフェイバリットな色々も発信。
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冷泉院水精成人形被捕語第五
(れいぜいのいんのみずのたまひとのかたちとなりてとらえらるることだいご)



今は昔、陽成院がお住まいになっておられた所は、二条大路の北、西洞院大路の西、大炊御門大路の南、油小路の東の地の二町であった。院がお隠れになってからは、その地所の真ん中を東西に走る冷泉小路を開いて北は人家になり、南の町には池などが少し残っていた。

その南の町に人が住んでいたことのある夏のころ、西の対屋の縁側に人が寝ていると、身の丈三尺ばかりの翁が現れて、寝ている人の顔あたりをなでた。不思議に思ったが、恐ろしくて、どうにもできないで空眠りをして横になっていたところ、翁はそっと立ち上がって帰って行った。

星明りにすかして見ていると、池の汀まで行ってかき消すように見えなくなった。池はいつ水を替えたかわからないくらいなので、水面には浮草や菖蒲が生い茂り、気味悪く恐ろし気である。そこで、さては池に住む妖怪であろうかといよいよ恐ろしい気がしていると、それからも、夜な夜な出てきては顔をなでるので、それを聞く人はみな恐れおののいた。

すると、一人の腕自慢の男がいて、「よし、おれがひとつ、その顔をなでる奴をきっと捕えてみせる」と言い、その縁側にただ一人苧縄(おなわ)持って伏し、一晩中待ったいたが、宵のうちは現れなかった。夜中も過ぎたかと思うころ、待ちかねて少し〔まどろんだ〕ところ、顔に何やら冷たいものがさわった。

待ちもうけていたところなので、夢うつつの間にもはっと気がつき、目をさますや否や起き上がって引っ捕らえ、苧縄でがんじがらめに縛り上げて欄干にゆわえつけた。そして人を呼ぶと、みな集まって来て、灯をともしてみた。見れば、身の丈三尺ほどで、上下とも浅黄色の衣を着けた小さな翁が、今にも死にそうな様子で縛り付けられ、目をしばたたいている。

何をきいても答えない。しばらくして、少しほほえんであちこちを見回し、か細い情けなさそうな声で、「盥に水を入れて持って来て下さらぬか」という。そこで、大きな盥に水を入れて前に置くと、翁は首を延ばして盥に向かい、水に写る姿を見て、「わしは水の精ぞ」と言い、水の中にずぶりと落ち込む。

とたんに翁の姿は消えうせた。すると、盥の水かさがふえて縁からこぼれ、縛った縄は結ばれたまま水の中にあった。翁は水になって溶け、消えてしまったのだ。人々はこれを見て驚き怪しんだが、その盥の水をこぼさないようにかかえて、池に入れた。以後、翁が現れて人をなでることはなくなった。これは水の精が人になったのだ人々は言い合った、とこう語り伝えているということだ。

(日本古典文学全集 小学館 より)
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今年は寝屋川成田山大阪別院明王院、寝屋川の成田不動へお参りへ・・・(^◇^)

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普段は閑散・静寂な寺社でも、この日は大賑わい。新年を迎える寿ぎとケジメにこの国の民は信心に熱心なのです。宗派を超えて信心する私たちなのですネ。

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初詣を特に寺社に拘泥せず、新年に詣でる行いは概ねの皆様に伺える事ではないでしょうか。お参りすれば、達成感・使命感が満たされたり心に安寧秩序が訪れる様な気がするのに否定的な方は少ないのでは・・・。

詣でる事は、日々の生活の中での礼節であり、感謝でもあり、反省、陳謝、納得、祈願、様々な思念をその場で心の中で吐露する事でもあります。

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詣でた人々は何時しか詣でたことも忘れるかもしれませんが、この一時に信心する事は人生の中で決して否定的ではなく、生きている実感を味わせてくれるマコトに有難いひと時とも言えるのではないでしょうか。

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人間万事塞翁が馬。それを悟りつつ詣でる事で、最善を求める心にポジティブであることを信じたいモノです(^◇^)

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今年は酉年。

酉という字は酒にも使われている様に、実りと収穫のイメージがあるそうです。

そして、活性の年とも。

ポジティブに迎えたいモノですネ(^◇^)

年末・年始の食卓に、自前で釣った魚介の恵みを添えるのがささやかな夢です(^◇^)

目標の獲物は、真鯛・ヒラメ・アオリイカ。これら三つの獲物が年の瀬に卓上にあれば、幸い
(^◇^)

酒がうまくなり、海の幸の、天然の美味しさを満喫できるからです。
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真鯛は加太で、

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ヒラメは国崎で、

春アオリイカ.JPG

そしてアオリイカは戸津井。

先の画像は去年の話。今年の釣り納めでコレが叶えばいう事なし(^◇^)

だったのですが、今年は厳しかったのです(>_<)
コンナハズではなかったのですが・・・(゜レ゜)
先ずは、アオリイカが・・・

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メジロに・・・ヒラメが・・・

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マゴチに・・・真鯛は・・・

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チョッピリ残念な年越し・・・(>_<)

なれば来年は今年以上に本腰いれて・・・(^◇^)

意思を伝達したり、情報を交換するには絵や言葉と文字が最も効果的。

音や匂いや感触からも色々と知る事は出来るモノの、文字や言葉から情報を得る事が今の人類にはメインなのも事実でしょう。

さて日本語の、特に文字には漢字が根っこにあって、そこからひらがなやカタカナが産まれて、その文字で光彩溢れる文化を開花させたと言っても過言ではないと思うのです。

そんな文字、漢字の物語(^◇^)

「予(ワシ)は、この会を、わが子を追放する場としなければならなくなった」
王はそういったのである。
「丁(てい)よ」
丁は王子の名前だった。
王の名は小乙(しょういつ)。紀元前13世紀後半の中国は商(殷)という国の王様。

丁は時期が来ても神意を群臣に伝える事が出来ないという理由で、祖霊が王に放逐すべしと夢見で指示したと・・・。

致し方なく父は我が子に旅をさせる事になりました。

丁は今でいう失語の人だった。上手く話せないので王を継ぐことが出来なかったのですネ。
国を追われるという事は、当時の国の外はイキナリ野蛮なジャングルへと放り出されるという事に等しかったのです。

彼は生死を彷徨いながらジャングルの様な世界で逞しく成長し、艱難辛苦をなめる間に説(えつ)という若者と出会い、説は後に彼の第一の家臣になります。

説、のちの傳説(ふえつ)は丁の思いをそのジェスチャーや目つきから正確に判断でき、群臣にその心意を伝える事の出来る男だった。

丁は彼を伴い、生国へ帰還し王小乙の後を継ぐことになります。
何故なら丁は神意を伝える事が出来るようになったから。

傳説を介して見える言葉で群臣に神意を伝えるという事をしたのです。
見える言葉とはすなわち、文字の発明。

高宗武丁の言葉は今尚甲骨文に見ることが出来ます。
(文春文庫、沈黙の王 宮城谷昌光 著 参考)

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