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日頃の徒然を日記に・・・。マイフェイバリットな色々も発信。
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あけましておめでとうございます。

令和2年、2020年はねずみ年。オリンピックも開催予定。

神社やお寺でおみくじを引いた人もこれから願掛けに出かける人も、この年の十干十二支の巡り会わせとセットでポジティブに励んでみてはいかがでしょう。

ソモソモ、十干十二支って3,000年前以上も昔に編み出された、暦とか方位とかに関わる神様との対話とかの記録と、慣わしの記録などから産まれた確率論・・・?

未来を予見するための道具。当たるも八卦当たらぬも八卦もこの一部。科学的根拠は無いと言ってしまえば味気ない人生の様な気もするし、世の中、ミステリーが無いとは言えない。大きなことや小さなことで摩訶不思議な出来事も起これば、ラッキー・アンラッキーも時に、実感したりする。

量子力学の世界でも確率論的だし、推し量れない未来や世界を想像する一つの手法として、3,000年前から活用していた十干十二支で今年の占ってみれば・・・?

今年は庚子(かのえね・こうし)。60年周期で訪れる金生水の年。金性と水性とは相性がよいとされています。庚にも子にも、上昇の雰囲気があって、暦では相性の良い歳とされています。

ちなみに新年2020年の前の庚子の歳つまり、1960年(昭和35年)の出来事は・・・。

今上天皇のご生誕
横浜ベイスターズ(当時は大洋ホエールズ)の優勝
哀しい事件もありましたが、割愛。

当時の流行語は、声なき声・低姿勢・所得倍増・私はウソは申しません・家付き・カー付き・ババ抜き等々・・・。

この年にジャイアンツは川上監督が就任、巨人ファンの皆様の将来に光明が輝き始めるスタートの年・・・?

池田内閣と言えば、自民党でかつてないほどの実績を残した年・・・。高度経済成長の華々しい時代の始まり・・・?

池田勇人総理は1950年"貧乏人は麦を食え"とメディアが当時、蔵相だった彼の答弁に、辛らつなレッテルを張ってコテンパンに報道されたこともある総理。

歴史は繰り返す・・・?もしかしたら2020年を境にして経済が上昇するかもしれません・・・?

あるいは、繰り返さないまでも、60年前に示唆された様な似通った出来事が、起こるかもしれません・・・?

ちなみにこの年産のワインは、 リヴザルト[1960] 750ml 赤リヴザルト[1960]Rivesaltes白

そう言えば、赤と白は日本の旗の色、今年還暦のお祝いにも・・・?

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この頃は、ネットとPCの普及で、家庭でもビジネスでもタイピングが必須気味な世の中になりました。

だからといってワープロの誕生のお陰で、英語を覚えるのではなく、せいぜいローマ字の知識程度で、日本語を使える様になって欧州諸国同様、タイプで書類も手紙も葉書も書ける様になりました。

日本ではそれでも今尚、肉筆にはこだわりがあって、今さらワープロの方が読みやすいし能率的なのだけれど、"文章"で意思の疎通を図る時、"心を込めて"とか、"礼節"とかで、肉筆を選択するケースは少なくありません。

逆に考えてみれば、文字を書くという行為に、何らかの拘り・呪縛・愛情があるからだ、とも言えるのでしょう・・・。

特に漢字圏の国々では、書くという行為に早い時期から毛筆が発明されたからなのか、書道・書生の様にアートな文化も開花しました。

字を書いた紙面や置物等に一種の感動を感じたり、例えば空海や西郷隆盛とか、歴史上の人物の真筆に価値があるのは、紛れもない書への憧憬でもあり、価値がある証拠とも言えるでしょう。

ひと昔前までは子どもの教育とか手紙を書くためにも、本棚に国語辞典や漢和辞典は必須であるかの様に、どこの家庭でも備えていたりしたモノです。

読み書きそろばんは教育の原点の必要条件で、古来より最低限の学習・カリキュラムだった。ひらがな、カタカナを覚えて漢字を覚える。そして読み書きを学習して、記録のインプット・アウトプットが出来る様になる。

聴覚以外での意思の疎通、ビジュアルでの疎通が可能になって行くワケです。私たちは簡単と習慣のため、古来より漢字を漢字として、漢字を一般名詞にしています。

しかし、その歴史をたどれば、殷(商)の民が編み出した文化だったのは、小学校でも勉強しました。その甲骨文字の発明が、"漢字"へとその名が変遷する様になった。

甲骨文字とは、亀の甲羅や動物の骨に鋭利な刃物の様なモノで記された文字の事。何でそんなことを殷(商)人たちは、行ったのか・・・。それは紛れもなく神との対話の手段だった。

当時の世間は謎に満ちていた。祟りもあれば、予知能力も、呪い・祝いや神託のため、罰(バチ)も今以上に濃密に時空に充満していた。その回答を神に求める行為が、当時の国家の義務だった。神を敬い、恩恵を賜り神の加護の下で国家は、運営されていた。

話しは少々それますが、当時の易姓革命はホボホボ、国家のトップのご乱行で、神に接近し過ぎたが故の、人間の自惚れから発生したと史実では、謳われています。

国家の統制が機能しているのは、自分の統率力だと思い込み、自分は神だと思い込む脳内回路が生まれて自滅というのが、易姓革命の一つの理由だったと・・・?

そんなコンナを繰り返している内に、甲骨文字は人と神の通信の手段から、人と人の間のソレに移行しました。

殷(商)人たちの甲骨文字は他の国々の文字のプロトタイプとして使用される様になり、長い時を経てモチロン、漢民族も借用する事になって、漢字と呼ばれる様になった。

これは余談ですが、互いに異国で産まれたという意味では、漢字と今のパンダは同じ歴史を辿って行ったワケなのでしょうか・・・?

さて、私たちは漢字の変遷に何の疑いもなく、これを日々活用しています。甲骨文字の意味するところを知らずに漢字を活用して来たのが、漢字圏の民族たちだった・・・?

それは多分に今に至っていて、漢字の解釈に強力な説得力を持っては来なかった。ただしそれは、一人の学者を除いての漢字に関する学会での連綿と続いて来た歴史の中でのお話として・・・・。

それは国境を越えた漢字のあらゆる学会の慣性とも言えて・・・?

しかしながらただ一人気を吐いて、大多数の漢字に造詣の深い人々の口を塞がせるほどの強烈な説得力をもって、甲骨文字の解釈を研究した学者が、かつて日本には生きていました。

彼の研究にケチをつける漢字に精通していると豪語するいわゆる学者たちやその範疇に及ばない人々も当時は居られたのか、そんな彼らは彼以上の説得力をもって漢字の由来についてホボ論破できなかったとか・・・???

大多数の漢字を活用している人々に、沁みる漢字への洞察を駆使し、その意味するところを強烈な説得力で研究され、産まれたのが「字統」。

今では以来、現地での調査も進んで、当時よりも詳細な事実が続々と判明されて来て増々、甲骨文字から漢字までの研究は発展しているそうです。

その詳細はすでにウィキペディアで紹介されているのでココは譲るとして、白川博士は学園紛争賑やかな頃、夏の暑い研究室で作業に没頭されていて、ゲバ棒、ヘルメット、タオルでマスクをした多くの学生たちの喧騒に対してある時、研究の妨げと憤慨し、注意のために研究室から半裸状態の姿で出て来て、彼らに向かって静粛を叫ばれてた事があるそうです。

その話を聞いた一人の学生が思い出として、武田鉄矢さんにお話されたとか・・・?その学生ははしだのりひこさんだった。

3,000年以上もの昔、武丁が即位した頃に、文字は誕生したと言われています。

漢字は今の時代にアルファベットの様な利便性を備えさせるために、省略化されて大陸と列島ではその字の姿も、かなり違ってきました。この国では、ひらがなやカタカナが生まれてその点、逆に漢字の省略化があまり必要ではなかったのかもしれません・・・。

漢字には当て字として、使用される特徴もあって、大陸では音が一緒だからという意味で、別の字をあてがったりもされている様で、他の文字を使用している文化圏の人々にとっては、その辺りがややこしくなりそうです。

文字として横書きも縦書きも出来る機能性を備えて、多少の変身も使用用途で安易に想像できるという意味においては中々、フレキシブルな文字だとも思うのですが・・・。

世が進むにつれて、手書きの機会が少なくなるにつれ簡単な漢字も思い出せなくなるのは、ヤッパリ漢字は書く行為としては揮発性が高いのかもしれません。読めるが書けない漢字は結構あるモノです。

漢字の持つフォルムに色々な感情を込めたり、想像したり情緒を表現したり、仮名との組み合わせで俳句や和歌を味わったり、掛け軸で凛とした空間を設えたり、私たちはビジネスにもアートにもある意味、気にも留めずに目にしているのかもしれません。

大陸で産まれて、この国でその解釈に情熱を捧げて光採を放った一人の天才が現れて・・・。殷というこの国の呼び名には後の国家から、蔑みの意を持って名づけられたというお話も史実には残っています。

なのに後世の人々は、文字だけは(?)チャッカリ借用して、今尚広く・深く使われてる・・・。早い頃から漢字に慣れ親しむ事は、読解や書き方を知る事にもなりますが、それ以上に物事の抽象的な捉え方や発想力を養ってもくれたりして、子どもたちには興味を持って早いうちから、修得して欲しいところです。

漢字には、奥の深い色々なモノを感じます。

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人は他の動物以上に環境に適応出来るから、世界中に拡散しました。

そして土着して、肌の色や、眼、髪もそれぞれの環境に見合った姿形に馴染んで生き抜いてきています。

それは、人に与えられた食生活の多様性のお陰でもあったし、加えて人類の世界中の拡散には、多分に知能も貢献しました。

私たちはバラエティー番組などで、世の中の様々な耐性を兼ね備えた動・植物に、驚かされたりしますが、それらの行動範囲を軽く凌駕してしまったのが、私たち人類。

一時なら深海にも、宇宙にも行ったことのある生物は、この地球上では、人ぐらいなのでは・・・?

さて、人が環境に対応できるというのなら、環境に左右されやすいという考え方も出来るワケでそう考えると、その土地々々で食生活を変えられざるを得ない自然界からの虐待(?)にも耐えて、他にも例えば温度や日照時間、酸素濃度、湿度にも耐えて順応して来たとも言えるワケです。

人が耐性を維持しているという事は、応力に気づかぬ内に依存しているとも言えます。気づかぬうちにその抵抗にエネルギーを代謝しているとも言えて、物理的にも作用・反作用の法則で、人は生きるために力を使っている・・・?

そうなると、それに依存しないで済む他の人(民族)に比べてそこに住んでいるがゆえに、余分なストレスに対抗している事になって、負荷がかかっている状態に耐えているとも考えられます・・・。

一方、私たちは四季を感じる喜びと、他方で真夏や真冬の厳しさとかにあるいは、梅雨の長雨にウンザリさせられたりもしたり(?)

そんな気分も味わってそこで、年中春や秋の様な気候に憧れたり。それでも四季の季節の中で過ごしていたいとか、温暖化とかにも気になったりもします。それらの事は時として、ストレスになるのかもしれません。

でも、そんな事は当たり前な事だし、時々は考える事もあるけれども、ショッチュウ気にしてもいられない・・・と思う事でしょう。

それでも私たちは、それらの気づかぬストレスに、曝(さら)されているとも考えられます。

そもそも生きているだけで生物は、ストレスに曝されている。
更に人には産まれてから死ぬまでに色々な"波"が訪れて、そんな事も考えると例えばバイオリズムも、一つの波とも言えます。

人にはそんな、何某(なにがし)らの波に、振幅や波長を無意識に感じられるワケで、その振る舞いに含まれる数字的な意味とか物理的真実も知る事になって、円運動とかスピンの概念が何となく身について、繰り返しとかも何となく想像してしまう・・・。

その様な波にはリズムの強弱という考え方も出来て、調子が良いとか良くない時だってあるのも真実として受け止められる。

同時に私たちは、慣性に支配されていて、急には止まれない毎日を、気づかぬうちに過ごしているとも言えます。色々な要素が加味されて、こうなって来るとチョッピリややこしい・・・?

そんな事を考えると、青春は立ち止まったり、振り返ったりせずにただただ前進、突っ走るというセリフは、少なくとも正解とは言いにくい・・・?
"青春"を"働き盛り"と言い換えても、同じな様な気がしませんか・・・?

そんなコンナも考えて、もしかしたら気づかぬうちに私たちは、ウッカリ陥穽にハマっているのかも知れません。

日本人プロ登山家の一人、野口健さんがとある講演で、冬山の登山中、雪多い山中で滑落すると、周囲は真っ白で無重力状態になって落ちていく時、その感覚は真っ白な空間に立ち止まっている様な錯覚に陥る、というお話をされたことを覚えています。

強烈な変化に見舞われているにも拘らず、自分の立場・状況に気が付かない状態です。

中でも気が付きにくいのが、感情の起伏。(くどい様ですが)その中でもウツは静かに忍び寄る・・・?

ヨーロッパでウツが多いのは、日照時間が作用しているという報告も見かけられたりしています。

冬になって、運動不足もウツに陥りやすい・・・。偏食もウツを招き寄せる一因という報告もあったり・・・。

この冬をウツに悩みそうなら、その対処方法を知って予知・予防出来れば幸いです。周囲の人にその様な人がいれば極端な話、命の恩人にもなりかねません・・・。

という事で冬のウツに打ち勝つ色々な方法をご紹介。知る人ぞ知る冬の鬱に負けない方法。

1. 朝日を浴びる散歩を楽しむ

2.運動をする

3.食生活を見直す

4.趣味や興味を持つ


1. 朝日を浴びる散歩を楽しむ

人類にとって東から昇る太陽には、特別な感情が込められる様になっているみたいです。 体内でも朝日を浴びれば好結果をもたらす作用が確認されているそうです。

メラトニンというホルモンが生活にリズムを与えてくれる効果がある事は、色々な処で紹介されています。

2.運動をする

運動が身体に、健康に不可欠な事を知らない人はいないでしょう。

新陳代謝を正常に機能させてくれるのは、身体を動かして筋肉や骨格、肺や心臓が血流に作用して、それに伴ってあらゆる器官を活性化させて動物の生きている常態ソノモノだと言えます。

3.食生活を見直す

偏食はウツに通じる道の一つとして、注目されています。

多様な食を与えられた人類には、逆に多様な栄養素が必要な身体になって来た。

動物には与えられた食し方があるのは、これはもう当然の領域で、馬や牛・羊と、ライオンやトラやヒョウ、イルカやアザラシ・オットセイの食に違いがあるのは、その生きている場所とか、スタイルとか、進化とかで変わっているのは如何にも否定できません・・・?

人にとって、ウツになりやすい偏食とはモチロン、好きなモノだけ食べて嫌いなモノは食べない事から来る栄養の不足。

特に気をつけたいのが、野菜から摂っている栄養。ビタミン・ミネラル・繊維質などが挙げられるでしょう。更に魚介類に含まれる栄養素の内でもDHA・EPAも必須の様です。

食す事が情緒に影響を及ぼすのは、臨床的に古来より経験として、知られています。

4.趣味や興味を持つ

人それぞれには独特の感性が宿っていて、衣・食・住以外でも、好き嫌いがあるのはココで一々説明しなくても良いのかもしれません・・・。

それは、得手・不得手とも言えるでしょう。時には不得手を克服しないとイケナイ宿命も訪れる事もあるかもしれませんが、自分にとって得意で、愛着を感じる趣味や興味に没頭するのは、少なくとも情緒の安定につながり、穏やかなフィーリングとか、爽快感とか、ポジティブな心持に誘導してくれる、個人々々の長寿の秘訣にもなるかもしれません・・・。

朝日を浴びる快感と海上で風を感じて射幸心を煽る、船釣りが個人的には幸福感を感じるひと時なのは余談ですが、楽しいモノです。

人それぞれの幸福感を味わえる趣味や興味を持つことは、確実に人生を豊かなモノにしてくれて、死ぬことの恐怖すら感じさせてくれるかもしれません・・・。

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悪貨は良貨を駆逐する。・・・グレシャムの法則はしばしば経済で話題になったり、汚染に対する警鐘などのお話で、先のフレーズはよく耳にしたりします。

金本位制で金そのものが貨幣な場合、その貨幣の金の純度で価値が変わるのに、例えばその貨幣の金の含有量を変えてしまえば、貨幣の信頼が崩れて物価が上がってしまったり・・・・。

商品を安く仕上げて高く販売するために、手間ヒマを省いたり公害を垂れ流したりも大きな問題になったり・・・。

とにかく低きに流れようとすれば、悪影響を及ぼしたりします。

また、経済の世界では大国が小国を駆逐しようとする事は、往々にして繰り返されて来ましたし、これからも続くのかもしれません。

その様な大国の振る舞いはまるで、過去の植民地政策や社会主義諸国の囲い込み的なイメージに通じる様な気もします。

力を持つ者はそれで生産性が高まれば余剰が生まれて、利益を追求する事が出来るので、そのために背景の力を利用して、経済的に優位に立とうとするのは一つの現象。

植民地も社会主義の囲い込みも、過去の遺物になったのでは・・・?

本来の商品の価値とかとは別に関税とか、取引での交渉とかが、本来の価値にうまく連動していないと、価値のない商品を高く買わされたり、価値ある商品が市場から消えてしまったりして、これってヤッパリ都合がヨロシクありません・・・?

経済大国は、これまでの純粋な価値関係とは別の、国力にモノを言わせた外交的パワーを駆使して、ゴリ押し的な操作で経済的にも格差を広げようと努力したりします。

この様な外交、交渉も大きな範疇でくくれば経済政策なのかもしれませんが、狭い範囲での物々交換から貨幣経済に進歩した時の、価値は場所を異にすれば価値が変わる交易の様な価値ともまた色合いの異なる、一種独占的な、別のパワーを利用しての外交・交渉の色合いが加わっているイメージが、異臭を放っている様にも感じます。

ここで小国が、大国のその様な外交を上手くしのいで生き続けるためには、希少価値もしくは、多様性に関わる事で生き抜く手段を考えたりして、工夫をしなければいけません。

今の世でも、単純に少ないモノに価値がある場合はあるのだし、商品や流通、企業の単一化は、利便性が向上する場合もあるけれども、反面澱みが産まれやすく、悪臭を放ち、脆弱性を産み出して、いずれ劣化していく事は、よく似たケースを歴史が物語っているとも思うのですが・・・。

どちらにしろ独占とか単一化は、いずれ経済を駆逐してしまいます。

横柄に振る舞うように見える態度は、異臭を放って周囲にネガティブな空気を発生させて、とても気分の良い状況ではないでしょう。

傲慢の露呈は遠からず、我身を亡ぼすのが世の常。叱責の声に耳を傾けられなくなった時、それがアリの一穴にも通じる事になるのでしょう・・・。

夏の傑王、殷の紂王、周の厲王は易姓革命の顕著な例で、フランス革命や、ロシア革命もご同様・・・。

例えば鉄鋼、純鉄よりも炭素が少量含まれれば、硬くなったり、ニッケルを加えれば錆びにくくなったり・・・。

これは極論気味だけれど、時として単一化が、弱点にもなり得る事があり、少ない成分で鉄は性質が大きく変わったりするのも、たとえになるかもしれません。

自然界の法則ならば少数派はいずれ、絶滅の危機が危惧される可能性が高くなるのは必然。

これが、人の営みの自由貿易では、経済力や国力や大きい者が断然有利になって、力なき者は、生き残る余地を考えなければならなくなり、色々な工夫が要求されたりします。

つまり、力なき者が生き残るための一つの手立てが必要になって来て、例えば商品に付加価値とか伝統や習慣のような価値に見合う商品、地産でないと意味がない商品とか、何かに特化しそれを足がかりにして、存命を図らないといけない・・・。

例えば、大航海時代前の胡椒とか、絹、ジャコウ・乳香、などは当時代替するモノがなかったから高値がついても、売れたりしました。

人間の世界では本音と建前があって、自然界ではそんな建前はない・・・。それは、気取る必要がないからなのかもしれません。

その時の建前とは、優位性とか覇権掌握のための人間にのみ通用する武器として用いられたりして、力で抑え込もうとする大国が小国の生殺与奪権を握らんがための手段にもなったりして、その様な建前論で大国は、経済的優位性を確保しようとする・・・。

自然界では例えば大昔、隕石の衝突が巨大生物の恐竜を雑滅させて、当時矮小な哺乳類の繁栄を促す結果になったり、ウィルスの変異が時短で可能なので、ワクチンに対抗する如くインフルエンザが中々絶滅しない様に、まだまだ人知の及ばない謎の小さきものの反抗する例が、あります。

生物界での少数派や弱者は、紛らわしさや隠ぺいを活用して存在感を目立たぬ様にして、多数派の戦略から身を守る事も知られています。

単なる巨大化には疎漏が悩みの種として歴史上、様々なお話が残ってもいます。ソコにはアリの一穴から瓦解の可能性も秘めている事が、示唆されていたりとイメージされるのは、くどい様ですが如何にも否めない・・・。

大きな国こそ正々堂々と、小国の同意を取り付けらる様に努力すべきなのかもしれません。

世界一になるのが正義なのか、共存共栄で大国こそが、多様性を死守しないと、降りかかる火の粉にさらされる表面積は大国の方が、広い様な気がするのですが・・・。

 


 


子どもが授かって喜び溢れるご夫婦も、スクスク成長してくれる我が子に元気に健全に育って欲しいと願いつつも、いかにして育てなければいけないのか、若いお二人なら悩む事もあるかもしれません。

子育てとは、親子共々の成長のプロセス。教えたり、教えられたリの生活の始まりとも言えるでしょう。

希望あり悩みもあり、時には失敗は許されない緊張感に押しつぶされそうな重圧感も、感じる事があるかもしれません。

核家族・近隣との疎外感、孤立した私たちの家族、頼れる何物も無いように感じてしまって、夫婦が不安になってしまったら行く末も不安になったり・・・?

もし、我が子を優秀な国立大学への進学とか、エリートコースを歩ませたいのならば、日々の親子の対話が最も大切な行為で、さらに家族が健全に過ごせることが必要な様です。

逆に言えば子どもの幼い頃から、会話のない親子ほど後に、後悔を強いられるケースが多い様です。

幼児期には親の助けがないと、哺乳動物も、もちろん人類もスクスク育つ事ができない。目が見える様になり、聴覚も胎内の頃にいた以上に機能し出したら世間の色合いや音を感じ出して両親の温もりも感じながら先ずは、スクスク元気に成長してくれて、赤ちゃんはとにかく泣く事で親に助けを求めることになる・・・。その期間はせいぜい、1~2年・・・。

その内、歩けるようになって会話をする事も可能になって、段々と行動範囲が広がって、何事にも興味を持つ頃がやって来る・・・。

この頃に、例えば家庭の事情で、モノを秤で測ったり、重さを計ったり、時間を気にする作業を親とかが作業していて子どもがそれを見たら、何をしているのか興味を覚えたりします。

時には手伝ったりも・・・。

チョットした手習いを出来始める頃に、楽器とか、絵の具とか、鉛筆とかハサミ、その他の道具類に興味を示してゴソゴソ何かを始めたり・・・・。

そんな折にたまたま達成感を覚えたり、満足感に満たされたりして継続する力を知る様になったら、子どもたちは彼らなりにケジメをつけるまでその行為に没頭したり・・・。

その内に物事の分析や解析を、例えば計算とか、読み書きの様な切り口から、あるいは情感から感じられる抽象的な概念を悟れる知恵もついて来て、理性と情緒を制御することも覚える様になります。

そうなったら主観性や客観性のイメージが判り始めてこの時、何のために勉強するのか遊ぶのかを、自ずと決められる心が芽ばえれば、後は親は傍観しつつ子どものベクトルが希望の方向を指す様にバックアップできれば幸いなのかもしれません・・・。

昨今の教育事情はひと昔前に比べて、多岐にわたる様になりました。

例えば、プロムラミングの導入とか、ボランティア活動の経験とか、文化人類学的なフィールドワーク、スポーツに手習い等々に英会話・・・。

もし、中学受験を目指すのならそれらに、多少の精通・知識を両親に、問われたりもします。

子どもにとっても、それを望むか否かを判断できる知恵を、それ以前に培って欲しいと思うのも、親心の一つなのかも知れません。

話変わって、江戸末期。

徳川幕府が終焉を迎えて、明治政府が樹立する時に官軍サイドでは西郷隆盛が、幕府サイドでは勝海舟が表舞台で次のご時世の談判をする事になりました。

世界の歴史では、この様な折には市民革命や易姓革命の様な派手な攻防が、勃発して政権が交代するものですが異国の介入もなく、江戸が火の海になる事もなく、比較的穏やかに時代は代わって行きました。

勝海舟はこの時、慶喜を米国に亡命させるための手立てとか、江戸の町を火の海にして、日光へ落ち延びて慶喜の存命を図り、徹底抗戦の折の事にも頭を巡らし、あらゆる状況に対応できる様にしていたそうです。

史実に残る無血開城は、対外的に最も不安定だった国政を、他国に侵攻されることなく移譲出来た大きな成果と言えるでしょう。

江戸の町民の存命にも貢献出来ました。戦禍を極力押しとどめる事も出来ました。

その勝海舟は旗本とは言え、無役の父の下で子どもの頃はスクスク育った。父の小吉は読み書きもおぼつかない程のヤンチャで、周りの住人からは慕われてはいたモノの、チョッピリ任侠的な人だったそうです。

あまりの粗雑さから本家からは度々叱責を受けて、海舟も養子として本家に引き取られそうになったのを強く固辞して、自ら育てる様になりネコ可愛りする程の様でした。

けれども小吉は彼自身、剣には心得があったモノの、自分では息子を剣を教えず別に道場に通わせ、勉学にも励ませて周囲の付き合いのある住人には、トンビが鷹を産んだと自画自賛していたそうです。

海舟が犬に咬まれて大けがをしたときには、四六時中息子を介護したエピソードは、有名になりました。

貧しい家庭に育った勝海舟。小吉は全く勉学とは、ほど遠いお父さん。

そんな海舟は、咸臨丸で米国まで赴いたし、坂本龍馬を育てたし、無血開城も成し遂げました。更に西南の役で一刻、汚名を帯びた西郷隆盛を評価して、その栄誉を回復もしました。

亡き父の孝行を無事に成し遂げた、幕末の偉人でもあった勝海舟。教育パパの下で育てられた偉人のイメージです。

そんな海舟ですが、伴侶には同じ墓に入りたくないと拒まれたそうです。彼は結構ハンサムで、浮き名を流していた・・・?

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