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知識と知恵の想像以上のギャップ
私たちは、まんざら不幸でもありません。
たとえ貧乏でも、今、日々の生活に不自由を感じていても・・・。
例えば、フトしたきっかけで、出世を掴んだり。
ある日、今まで解けなかった問題が解決したり。
あるいは、長年悩まされた事が、今ではもう全く煩わされない様になったり、とかの経験もあったりします。
子どもたちだって、学校の成績が上がったり下がったり。
友達とのクラブ活動やちょっとした遊びの中で、小さな幸福や優越・感動を経験したり。
日々、成長して遊びや仲間とのふれあいから、成長とともに、パブリックな自分の未来を見据えられるようになって何時しか、養われている立場から、巣立っていかなければならない感覚が芽生えて来て、成長して行きます。
それはことさら一々、親が子供に諭す必要もなく、日々、彼らの成長と共に広がる環境の中で、社会の中で学習して、肌身に感じて・考えて・行動する様になります。
とはいえ義務教育の間は、両親も気を揉んだりする事もあるでしょう。
個人的には、何だかんだと世間に喧(かまびす)しい私たち。
生活に追われて忙しい毎日。
なのに日々の暮らしの繰り返し、慣性に乗せられて、日々を淡々と過ごして行く。
その日の仕事を終えて、夕食をとるまでの間とか、没頭を余儀なくさせられていた時間から解放されて、自由な思考や行動が許された時、人は魔がさしたり、閃いたりするのは、何もTV番組や読み物上だけの話では、ないことは何となく分かります。
大なり小なり、そんな経験を味わった事も、誰だって脳裏を過ぎる事があるはずです。
さて、人は人の話を聞いて知識を身に付けて、記憶します。
それがその人にとって、ハウツーモノなら身体に馴染むまで試行錯誤して、それを習得する。
なので、義務教育のお勉強は、習った後の復習がキモになって、ソコをシッカリ抑えておけば、自ずと成績が安定する。
予習は、わからないところの吟味程度、復習ほどのエネルギーを必要としない。
人は知識を理性で理解できる。
それが知恵と呼べるようになるのは、繰り返し復習したりして、心身が馴染んだ時、守・破・離の最後、工夫出来る自由度を取得できた時に知恵になる。
動物にも知恵はある。
"守・破・離"とは、能で有名な、世阿弥の名言です。
初心忘るるなかれ。初心を覚えていれば、最後の”離”の境地に至った時、知識が知恵になった悟りとして、覚醒できるのでしょう。
知識は、守・破・離の行程を通して知恵になる。
なので、知識と知恵には想像以上のギャップがある。

同じ本を何度も読む効果
一度読んだ本をもう一度読むには、興味がないと中々難しい行為なのかもしれません。
他方、本の中には、再読を促す程面白さを提供してくれる書物もあります。
一般的に、新聞紙は読み終えたら包装紙になって、週刊誌は古本屋へ持って行って貰っていた。
同じ本を何度も読めるのは、読む人の波長と同調しやすい内容が、込められているからなのでしょう。
なので、熱量を費やして再読する。
その効果は、新たな行間を発見したり、より奥行きや幅を認識したり、読む側の変化に気が付いたりする事などが、上げられます。
それは、経年の結果も教えてくれて、時代の流れを振り返る事にも実感として、体感できるとも言えるでしょう。
アーカイブに近い個人的な統計・軸を養う事の出来るのが、再読のメリットではないでしょうか?
なので二度と読まない書籍は、断捨離して、他の人々のお役に立てられれば、幸いです。
再読の効果がある限りは、書籍は人の大切な武器になります。
忍者の巻物の様に、武道の免許皆伝の様に・・・?

簡単な事実と難解な事実
具体的と抽象的で、人は理解度が変わります。
抽象的な理解を出来るためにも、読み・書き・そろばんを覚えたり、義務教育があったりするのでしょう。
義務教育に賛否両論があるのは、社会の中で生きていく私たちの心に御呪(まじな)いや呪いに感染するかもしれない危うさがある事が指摘されたりします。
幼い頃に感染すれば、解毒するのに時間と空間とエネルギーが、科学の数式の様に量的に計算できるかもしれません。
専門医の努力が必要になったりとか・・・。
簡単な事実から難解な事実が、この世にはいっぱいあって、中には数字と記号で表現できるモノもあれば、言葉でしか表現できないモノもあったり、五感では理解出来ない事実も、いくらでもありそうです。
数式を駆使して、この世の現象を解析している、人類の先端も先端の超天才の皆様の中には、どうにも解せない事実に、神を意識しないわけにはいかない、というお話をされたりもしています。
解せないモノに闇雲な信仰や信心を組み込ませたり、妖(あやかし)を取り入れてスパイスとして、時間の重しを乗せて、哀れな罹患者が生まれたり・・・?
理解に苦しむ事実や現象に、安易にヒモづけする無責任な行為を、呼吸する様に成し遂げる人たちも現れたり・・・。
世の中の正しいとがどういう事なのかが、曖昧になって来る境目を拵えてみたりとか・・・。
真実の追及って、哲学であったり、日々の生活の中にあったりとか、人生ソノモノであったりとか・・・。
事実関係の追及には色々な要素が含まれていて、手数の多い詰将棋の様な事もあったりします。

リスニングで悟る一瞬
再読の効果とリスニングで他動を拝借して、一冊の書籍を理解する事には効果があります。
人は聴いて悟る事の出来る動物。
五感の機能は生命維持のための大自然から授かった交信手段。
書いてはイケナイ、聴いて悟れと釈尊は仰っていたとか・・・?
なのに、世間には無数の経典が産み出されて、宗派も無数に・・・。
これも人類の多様性?
この現象も事実なら、お釈迦様の仰った言葉も事実。
差し当たって現状を打破する発想や行動には、それにふさわしい知識を知って、知恵にまで昇華しないといけません。
この時代には多くの著書が、発刊されてもいるし、ユーチューブで朗読を聴く事も、出来る様になりました。
学歴社会と終身雇用の崩壊は目前。
これからを生き抜く力は、個人の知恵に依存しなければならない波が押し寄せて来る予感。
AIで制御される社会で、あなたが必要とされる人間になるためには・・・?
その回答の一つが分かりやすく解説されていて、長年のベストセラーの書籍のご紹介です。
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生物は繁栄するために過去、色々な歴史を経て進化して来ました。
中でも哺乳動物では、生き抜くために集団を結成して、社会を形成して、生き抜く方法を選択した動物も誕生しました。
それ以前に昆虫でもたとえば、アリやハチの様なケースなどは、社会や集団を意識させてくれるケースでしょう。
社会にはヒエラルキーが誕生するのが、自然の掟の一つなのかもしれません。女王アリやハチの様に・・・。
あるいはサルや狼などの集団のボスとか・・・。
それはヒトにも見受けられて、今ですらなお迷彩された見えないヒエラルキーが、あるのかもしれません。

昆虫の場合はDNAとか、予め決められた運命があるようなヒエラルキーのイメージですが、動物の場合、個体差でこの世に生まれ出た後、それもその度ごとに集団が、無意識に決めているかの様です。
魚類の場合、成長の途中で雌雄が変わって、個体の大きいモノがオスになって、他のオスになりそうな魚を阻止して自分のハーレムを維持しようとする種類(ブダイ系)がいるそうです。
どうやら自然は、生き残らせるために生物に進化を要求して、なおかつ一部の生物にはそんなヒエラルキー的な構成を強いる様な図が、あるかのようにも想像できそうです。

今問題のコロナウィルスも、より生存時間の永い生物に宿るために、刻々と変異するそうです。
動物に比べて単純な構造という理由で、ドラスティックな変異を遂げるため、ヒトにとっては厄介な存在でもあります。
さて、簡単に言ってしまえばこの階級制度、ヒトにとっては色々な場面で活躍して来ました。
もしかしたら今の人類、ホモサピエンス単体の生存は他の人種をコノ生物の特徴が、そうさせたのかもしれません。
あるいはそうではないのかもしれない・・・。
社会を形成したヒトには、他の動物には与えられていない能力で、自然が与えた階級制度を利用してヒトににだけ、通用するモノを創造したと考える事も出来たりします。

例えばその一つが、神々や唯一神でもありそれは、色分けの手立てにもなり、差別も出来るタグになる・・・という発想。
言葉にも時間を示唆する表現もある一方、上下を表現する方法も編み出しました。
これって生物、本来社会を形成する生物にあるクセなのかもしれません。
それが人間の業になって、個体差を否が応にも意識して、上下関係を作りたい本能に・・・?
逆にその様な現象に抗う気持ちも併せ持って、ヒトはそもそもパラドックスな生活をも強いられているかの様です。
これだけ科学も発達して、哲学的思考も身に付けて、多少なりとも以前より生きやすくもなって、順調に人口も増えてきた。
小さい事から大きい事まで色々と探求してきて、膨大な情報を整理して蓄積してきた私たち。
それでも他方では今なお大きな企業ではこれらを活用して、人類世界を把握したい願望が進行しているかもしれません・・・?
例えばアルゴリズムで変わる世界とか、制度や運営方法の違いで、争いあう社会や国家間でとか・・・。
生存競争で生き抜こうとするのが生物の一面、ソコには何が何でも生き抜こうとする力が作用する、その一つが "欲" なのかもしれません。
善きに付け悪しきに付けこの欲求は、社会に大きな影響を及ぼして来た。
社会が成熟すればするほど、彼我の間で極力気づかぬように、まるで忍び足の忍者の様に、癌性の悪種が蔓延したら大変です。
AIや量子コンピューターによる社会貢献が、健全に営まれるように力なき大多数の人類は希(こいねが)うしかありませんが、生存の決め手である "欲" とは良薬にも毒にもなるモノ。
神の罰が当たらぬように、良識を発揮して欲しいところではあります。
釣りから伺える流れ

真鯛ならいかにも首を振って、針を外しにかかる情景が、脳内を刺激してくれます。
ガシラ(アラカブ・カサゴ)は針掛かりした一時ピピンと暴れますが、後は硬直したように体を曲げて口を大きくあけて上がって来ます。
ハマチやカツオなら、遊泳力を誇示するかのように縦横に泳ぎ回ってグイグイ引きずり回すような印象でしょう。
クエやマハタなら、重たい石が底でゴソゴソ動いているの様な感じで、ある程度まで浮き上がらせることに成功すれば、その重さだけが感じられる感覚です。
サメはいかにもサメらしい重くて青物ほどではないにしろウロウロと泳ぎ回って、白い腹を見せて浮いてくれば後は比較的おとなしくなる様な印象です。
さて、手前事に戻りますが当初は、あるきっかけで海釣りの楽しさを知って、当時は週末になると近くの波止に赴いて、そのまた近くの釣りエサ屋で仕掛けと餌を購入しては豆アジを釣って、自宅に持ち帰ってカラ揚げにして三杯酢で楽しんでいたモノです。
その頃の印象は、豆アジ1匹すら自前で釣って調理したら、驚くほど美味かった。
ヤッパリ美味しい思いをするには、何事にも自分で手間ヒマかけて金かけて、足と手を使えば叶えられると実感した事が、今でも印象に残っています。
美味しい豆アジへの食に対する釣り行きの費用対効果は、スーパーマーケットで購入する価格の数倍はする行いです。
けれども、スーパーマーケットの豆アジの三杯酢では味わえないその美味しさは、釣りする楽しさも相まって、ヤメられない毎週の習慣になって、よく通ったモノでした。
家人にも美味しい豆アジを理由(?)に何らのお咎めの声もなく、マァー唯一の息抜きなのだからと半ば、放任されてもいたので結構ハマっていました。
当時は週末に波止釣り通いが習慣になって、それがいつしか獲物はデカイ方が面白い事を感じる様になって、チヌ(黒鯛)釣りにノメリ込み、果てはグレ(メジナ)を追い求める結果になったワケなのです。

波止釣りから磯釣りへは、ある意味確信犯的移行なのかもしれません。
何時しか磯竿のシナリや曲がり具合にまでコダワリが拡がって、気が付けば磯に上って釣りを楽しむ小腹の出た、中々釣れない裾野アングラーに・・・?
磯に赴けば、色々な(自然)現象にめぐり合えるようにもなりました。
釣りが教えてくれる "流れ"

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