Fishing Tackle Gatsun 忍者ブログ
日頃の徒然を日記に・・・。マイフェイバリットな色々も発信。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


 


遊牧の民より農耕の民の方がどうやら縄張り意識が強いかもしれない。

国境が生まれる要因は言葉や宗教など、色々あったでしょうが、農耕を覚えて、肥えた土地と水源の確保が生活に最も欠かせないから、それが一番の要因かもしれません。

遊牧民はウロウロしていたから、広い土地が必要なのであるいは国境は不便だったかも・・・。

中央アジアの遊牧民が移動するのは、牧草地を必要以上に滞在すると羊が食い尽くして、エサがなくなってしまうので、食い尽くす前に移動する。

牧草は一定期間放っておけば、また繁殖する。けれども、その牧草地には農耕は適さない。

自然が農耕を阻止するけれども、牧草程度の草を再生させるのは許してくれる。

だからその土地では遊牧の方が、農耕より適している。

隣の大陸では、古来北方の遊牧民族と農耕民族せめぎあいが常に問題の種だった。

高地で遊牧する人々のお手伝いをする犬は主人に忠実で、どう猛だったそうです。

見知らぬ人には命も惜しまず食らいつく程の番犬だった。なので、主人も遠来の訪問者が訪れる時にはその番犬たちを隔離して、訪問客とは接触させなかったそうです。

しかし訪問客が逗留すれば、番犬もそのあたりを推し量ったりできたそうです。

どの様にして番犬たちは、逗留した訪問客を客として歓迎するのか・・・?

それはまるで、賄賂。

彼らは賄賂で番犬モードを解除する。

で、その賄賂とは、訪問客の地平線の見える草原での脱糞だった。

訪問客とご主人との晩餐で、彼らはそれをインプットしたそうです。

馬上からの弓矢と若しかしたら、番犬も放牧地拡大の一役を買っていたのかもしれません。

彼らは普段は牧畜犬。オオカミなどの野生の動物から、羊の群れを守っていた。

チンギスハンは、馬と弓と犬で広大な牧草地を手に入れたともいえるのかもしれません。

PR

もう40年以上も前になる米国の映画、今観ても面白い大ヒットしたコメディ映画。

アメリカの一地方を彷彿させるシーンにピザ、ハンバーグ、フライドチキンにバドワイザーはアメリカの象徴、2サイクル125cc程度のバイクに、ハーレーダビッドソンのロゴシールを張り付けて、走り回っているタバコを吹かした悪ガキなんて今ではもう古い・・・?

今こんなことして走り回っていたら日本ならずとも、米国でも即、補導だろうし、かえって不自然なのもパロディー。

米国独特のデフォルメとコメディーの映像の反面、日本的な泥臭い人情コメディーの一端とも思えたり、理屈抜きで情感に訴えかけるシーンもあったり、今なお悩める社会風刺への投げかけみたいな映像もこのクラシック映画?には、エッセンスとして感じられたりして、まさに浪花節的な土臭いところもうかがえる名作でしょう。

個人的にはブルース・ブラザーズより、日本人には理解しやすい米国のコメディー・・・。

ブルース・ブラザーズには、かの国の人々のキリストへの信仰の敬虔な思いが投影されていたりして、誤解を恐れずに言えば、西欧では多少なりとも感じられにくくなった様にも思える、キリスト教信仰の色々ある一面の内のある一場面を、他宗教感覚の日本の一個人が感じる、彼らの信仰感への濃厚さとかを感じたりしたものです。

がんばれベアーズには、それは希薄でかつてのTV番組でもある、ミスター・エドや、じゃじゃ馬億万長者の様な米国の超クラシックなコメディ、純粋に娯楽と受け取って楽しめて、チョッピリ社会風刺もあるけれど的な番組に近しい感じのする・・・そんなかなり冗長な感想を懐かしさと共に、感じたりもしました。

当時のハリウッドが色合いを変えて、エンターテインメントとしての映画が昔の様な華やかな活況のない息苦しさを感じる昨今の映画産業、この頃にはこれから成長していく様な勢いを感じさせてもくれて、そんな事を考えていると自分はもう老害の域なのかとも感じてみたり・・・。

コンバットや西部劇も無邪気に楽しんでいたあの頃。地政学が禁句にも等しかった当時からすれば、今はヤッパリ主権に対する意識も変わってきたのでしょうか・・・?

マァそんな無粋な事は別にして、チョッピリ文化的に興行を楽しむ余裕を持ちたいと願う事を思い出させる映画。がんばれベアーズは確かに面白い映画でした。

がんばれベアーズ897×1267.jpg

豆腐693×405.jpg


幕末は長州藩の戦略家大村益次郎(村田蔵六)は豆腐が好きだった。

彼は、宇和島藩の伊達宗城の命により初めての蒸気船を設計したり、戊辰戦争で大砲を駆使して官軍に勝利をもたらしたとして有名に・・・。

その蒸気船、船体を担当したのが蔵六で、動力は嘉蔵という細工職人が担当したと司馬遼太郎著 "花神"で紹介されていました。

動力に比べて船体があまりに大きかったのか、船出してしばらくしたらスピードが鈍化して、少々パロディー気味な作者の表現がユニークで、それでも藩主は満足したという下りを覚えています。

真面目一徹の男で、額が高くて身分は高くは無かったけれども、頭脳明晰で大阪の適塾で学問して、時の工学系を担当した感じのある下級武士というイメージ。

諧謔が通じにくい男で、直球勝負な感じの印象です。

彼は豆腐が大好物だった。彼の生地では荒縄で括って豆腐を持ち帰る事があったそうです。石畳に落としても崩れないくらいの豆腐だった・・・?

豆腐を食って天才になった男?官軍を勝利に導いた男。 彼は豆腐が大好物。

湯豆腐に、鍋におでんに美味しい豆腐が恋しい季節。



大豊豆腐:豆腐なのに固い!旨みがギッシリと凝縮された田舎豆腐です。薪で炊いて高知産の天然にがりで固めました。堅い田舎豆腐なので、柔らかい豆腐しか知らない人は驚くかも。

 

 

人間が必要としている社会性。

それも今や、都市のインフラでその関連を絶っても生きていける。

恋愛や結婚も同調圧力として考える、発想。

頭抜けた発想を想定できる天才な人々は、それらの事よりももっとやりたい事、考えたい事があるみたいです。

人間性とは人間が生きて行くための武器で、AIの進歩・発達は言語さへ不要になって人は人生を全うできる様になる。

以上の様な発想は、ある意味生きやすい様にも思えます。

他方で、交流や協調性に願望や満足感が満たされるケースもあるとも思えます。

何かを達成したい気持ちがなくなったら、進歩しない様な気もするんだけれど・・・?

それでもこの世には、原始的な菌や進化を止めた生物も存在するし、この世は正しく混沌・・・?

言語機能が進化を阻害するのか、この世の天才は面白い考えを教えてくれたりしてくれます。

一見過激な提案もよくよく聞いてみると納得してしまう彼らの発想。

彼らは概ね無駄を嫌い、効率を追求する。

それって、商売にもよく似た発想・・・。

世の枠組みから外れた色々な方面の天才の皆様は、社会性を切り捨てて社会に貢献している様な気もします。


 

 

TVでは大阪のお笑いの発信地が、色々なゴシップで痛しかゆしなイメージ・・・?

というのも、芸人さんの皆様のご活躍はめざましいモノがあって、何処のチャンネルでも笑いを振りまいて一生懸命ご活躍の反面、有名税の対応に甘い部分を露呈して、フライデーされたり不備を突かれたり・・・。

他方、大阪の府政・市政を担っている維新の会の知事と市長はこの地ならではのお仕事に忙殺されるかのように、ご多忙な日々。

そも関西人は、ラテン系。しかも、名より実を取る商魂気質。昔から、政(マツリゴト)にはあまり気を留めない。むしろ消極的・・・?

ギルド的な商売関係を大切にする割には、政にはチラ見程度な雰囲気。なので、知事も市長もお仕事が大変なのかもしれません。

御堂筋パレードでは、府政市政に関わる方々とお笑い芸人さんとの会話で、関西人独特の諧謔の効いたトークが、聴衆を笑いの渦に巻き込んだとか・・・?

口は動くが、腕っぷしは振るわないのが関西人・・・。さて、東京オリンピック前の消費税増税。未来の景気にくさびを打ったイメージを国民はぬぐえない。その雰囲気でオリンピックに突入。

オリンピック後の景気悪化は高い確率で起こる事も想像している国民。当地の知事さんのオリンピックに対するお仕事ぶりには辛らつな国民の目。

未来の景気に対して、明るい陽射しが伺えないイメージの私たち。

何もかもがこれからの景気にはとてもながら、好影響とはいいがたいドタドタした感じの雰囲気。TVでは大阪のお笑いの発信地が、色々なゴシップで痛しかゆしなイメージ・・・?

景気を上向きにさせてくれるお上は中々現れてくれない、官僚は景気回復を厭う、特に財務省や日銀はフェイクな情報をなりふり構わず振り舞いいるかの様な有様をネット上で公開されて、その評価に多くの国民は真実味を感じている。

かつての大阪万国博覧会以後、千里ニュータウンや泉北ニュータウン、新御堂筋の開通で府内は景気も良くなった想い出があったりもしますが、当時は人口も右肩上がりだったし、少子高齢化な今とは比較にはならんし・・・。

それでもここは一番、大阪も奮起して景気を上向きにして、活性を取り戻して欲しいところ。

大阪の政治家は少なくとも、景気を向上させてくれないと名を上げられない。実を取ってこその政治家を関西人は応援する?


Fishing Tackle Gatsun